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地球について、まだわかっていないこと
山賀進

写真:地球について、まだわかっていないこと

プレートテクトニクス説の発達を巡って

 前著『一冊で読む地球の歴史としくみ』ではプレートテクトニクスの解説を書き、今回の『地球について、まだわかっていないこと』では、全体としては地球のダイナミクスをうまく説明できるように思えるプレートテクトニクスの、でもまだ解決できていないいくつかの課題について書きました。ここでは少し別の観点から、プレートテクトニクスについて書いてみたいと思います。

1. 地向斜説からプレートテクトニクスへ
 大山脈(造山運動)の成因について、かつては「地向斜説」というものがありました。陸地に近い海底(地殻)には(なぜかはわからないけれど)大規模に、そして長期間にわたって盆地を作るように沈降を続けるところがある、そこに陸地から運ばれてきた砕屑物が地殻の沈降量に見合うだけ連続的に堆積するために、海底は浅いまま、でも堆積物はそこで1万メートルを超えるような分厚い地層を作る、またその深部は高温・高圧になるために変成岩ができ、さらに中心部には花こう岩もできる、こうして中心部に花こう岩、その回りには変成岩、さらに外側には堆積岩という構造ができあがる。こうしてできた構造が、(これもなぜだかよくわからないけれど、あるいは花こう岩は密度が小さくその浮力で?)一転して隆起に転じ、褶曲・断層を作りながら大山脈を形成するという理論です。地殻の上下運動で大山脈の形成を説明しようとするので垂直地殻変動説、あるいは地殻の水平方向の運動を認めないので固定説などともいわれました。
 ところが、1960年代からプレートテクトニクスという考え方がだんだん明確な形を取り出します。プレートテクトニクスについては、『一冊で読む地球の歴史としくみ』を参照してください。
 プレートテクトニクスは、1915年のウェゲナーの大陸移動説が出発点です。ウェゲナーは、大西洋の両側の大陸の海岸線の形がよく似ていることをヒントに、地質学的証拠、古生物学的証拠、古気候学的証拠を集めて、かつて一つだった大陸(パンゲア)が、分裂移動して今日の姿になったという「大陸移動説」を提唱しました。そして、大陸移動の前面(南北アメリカ大陸の西につながるロッキー山脈からアンデス山脈)や、分裂移動して再び 衝突した場所(アルプス山脈やヒマラヤ山脈・チベット高原)で大山脈ができると、大山脈の成因までもうまく説明したのです。ところが、どういう力が大陸を動かしているのかという原動力問題でつまづき、さらにはウェゲナー自身がグリーンランドの探検・調査中の1930年に50歳という若さで遭難死してしまったことなどから、大陸移動説は当時の学会の主流から完全に抹殺されてしまったのです。
 しかし、1950年代から海底の情報(正確な海底地形、海底の地殻熱流量など)が集まりだしたこと、また古地磁気学の発達によって大陸移動説が復活します。具体的には1962年ころにディーツやヘスたちが唱えた「海洋底拡大説」です。ウェゲナーの大陸移動説は、マントルの上に浮いている地殻が、あたかも海に浮かぶ氷山のように漂い動くというイメージでしたが、海洋底拡大説は、大洋の真ん中にあり(太平洋では南東に位置します)、そして全地球を取り巻いている海嶺(海底の火山性の大山脈)で新しい海底が生産される、その海底は1年で数cmというゆっくりとした速さで海嶺から遠ざかり、最後に海溝で沈んでマントルに戻るというものです。この海底の移動に伴い、その上に乗っている陸も動くというイメージなので、ベルトコンベア説ともいわれます。
 さらには地震学の発達により、海洋底拡大説は、「プレートテクトニクス」という概念に変わりました。プレートテクトニクスでは、地球の表面は十数枚の堅いプレートにおおわれている、その境界(新しいプレートが生産されて両側に広がっていく境界、プレートが衝突している境界、プレートがすれ違っている境界の3つのタイプがあります)で、地震・火山活動、あるいは大山脈の形成が起こるというものです。1967年頃からの、マッケンジー、ル・ピション、モーガンたちの論文がその始まりといわれています。
 現在では、きわめて遠い天体(クエーサー)からの電波を利用した 超長基線電波干渉計(VLBI)で離れた場所の距離の変化を正確に測ることができるようになったこと、あるいは測位衛星を利用したGPSの発達により直接位置がわかるようになったことなどから、大陸が動いていることを実測できるようになりました。つまり、地向斜説は誤り、過去の説となったのです。
 もっとも、プレートを動かしている原動力問題などについては、まだきちんと決着が着いているわけではありません。このあたりの事情は、今回の著書『地球について、まだわかっていないこと』で書きました。

2.観測データの集積
 科学の発達は、データの蓄積に依拠していることが多く、質のよいデータがたくさん集まることで、新しい科学理論が生まれるということがあります。宇宙科学や素粒子科学などではそれは非常に顕著でしょう。たとえば巨大望遠鏡(ハワイ・マウナケアの大型光学望遠鏡やチリ・アタカマ高地の大型電波望遠鏡、さらにはハッブル宇宙望遠鏡など)、またヨーロッパの超大型加速装置(LHC)などがもたらすデータは、科学の新しい地平を切り開いています。
 海洋底拡大説誕生を支えたのは、海のデータの集積です。たとえば昔は、海の深さを測るだけでも大変でした。測深用のロープを垂らして、1箇所1箇所ずつ測定するしかありません。深さ数千m、場所によっては1万mを超える海ではロープを垂らして、再び巻き上げるのに丸1日、あるいはそれ以上かかったと思います。そしてその精度も、ロープの先端が海底に着いたことをどう確認するのか、途中でロープがたわんではいないかなどを考えると、あまり高くなかったでしょう。ところが超音波測深儀が使われるようになって、それまで点の情報だった海の深さが、観測船の航路の下で連続的に得られるより正確な線の情報になりました(現在では、超音波ビームを横に広げることにより面の情報になっています)。つまり、海洋科学の基本中の基本である海底地形が正確にわかってきたということが、海洋底拡大説誕生の一つの根拠だったのです。
 プレートテクトニクスでは、なんといっても正確な震源の情報、とりわけそれまでは誤差が大きかった海の真ん中で起こる地震の震源の正確な位置と、地震を起こした断層のメカニズムがきちんとわかってきたこと(つまりプレートの境界と、そこでのプレートの動き見えるようになったこと)が、さらには上部マントルの低速度層の発見(確認)などが、プレートという概念を生む根拠になったと思います。、
 1960年代から70年代の地球科学関係者は、ヒーゼン&メアリー・サープが描いたきれいな海底地形図(1970年)に、またバラザンギ&ドーマンが作った地球の震源分布図(1969年、この図によって海嶺が地震帯であること(つまりプレートの境界であること)がはっきり示めされた)に感激したことでしょう。

3.科学と社会
 科学が技術によって支えられているということは、科学は歴史や社会・政治と無関係ということはあり得ないということです。歴史的に、また社会的・政治的に超越した、純粋無垢の科学はこれまでもなかったし、これからもないだろうということです。
 古くは、天動説から地動説の転換も、15世紀から始まる遠洋航海では、陸地が見えないところを航海するときに、天測以外に現在の位置を確認する方法がない、でもそれに使う天動説をもとにした天体運行表があまりにも不正確、もっと精度の高い天体運行表が絶対に必要だという、社会的な圧力(船乗りやそれを支援する王侯貴族・資産家たちの圧力)がその背景にありました。たんにコペルニクスの知的好奇心が地動説を生んだわけではないのです。もちろん、コペルニクスが遠洋航海者から直接、もっと正確な天体運行表を作って欲しいと要求されたわけではないでしょうが、それを求める社会の雰囲気が醸成されていたということです。個人の好奇心も、それまでの歴史や、そのときの社会情勢によって生み出されるという側面が強いと思います。
 海洋科学の進歩を支えた超音波測深儀の技術は、第二次世界大戦中に対潜水艦作戦で発達したソナー(超音波探信儀)と同じです。それが、戦争終結後に測深儀となりました。 海で起こる地震の観測に威力を発揮したのは、アメリカが1950年代後半から、世界中に同じ規格の高精度の地震計を配備して作った世界地震観測網(WWSSN)です。本来の目的は、冷戦下という時代、ライバルだったソ連の地下核実験を探査するためでした。でも、この観測網のおかげで海の地震を正確に観測できるようになり、またアメリカの地震学そのものも、この観測網の整備により飛躍的に発展することになります。
 それを引き継いだアメリカ地質調査所は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震でも、かなり早い段階でほぼ正確な震源の位置やマグニチュードを出していました(気象庁の推定したマグニチュードの大きさは、初めのうちはかなり低いものでした、このことは津波警報の発令のときに問題となります)。これは気象庁が悪いのではなく、観測点を日本国内にしか置けない気象庁と、世界中の情報を集めることができるアメリカの機関のそれを比べることは、そもそも意味がないのです。
 でも逆に、気象庁が求めた震源情報と、アメリカが求めた震源情報に、系統的な違いが見出されると、これはこれで別な意味を持つ、すなわち日本列島の特異な地下構造が浮かび上がるということでもあります。これについては、前著『一冊で読む地球の歴史としくみ』の<異常震域>の項で書きました。
 もう一つたんに技術の問題ではなく、科学は社会と、つまりその時代の人々の思考と無関係ではないということもあります。これは簡単に、「パラダイム(科学的思考を行なうときに規範となる考え方の枠組み)」という言葉で説明されることもあります。でもそれ以上に、科学とは一見無関係に思えるその人の世界観、言葉を換えるとイデオロギーの問題が極端な形で表面に出ることもあるのです。
 たとえば、遺伝学においては「獲得形質が遺伝する」というソ連のルイセンコ説が、1950年代の日本でどのような論争を巻き起こしたかは有名なことだと思います。つまり当時のソ連を支持するか否かという政治的な立場と、ルイセンコ説にどう向き合うかという立場は密接不可分だったのです。
 プレートテクトニクス黎明期においても、再び同じようなこと起こりました(ルイセンコ論争の縮小再生産という人もいます)。地質学関係のある団体に所属している多くの学者が、(たぶん当時のソ連の指導的な地質学者ベローソフがプレートテクトニクスに否定的な立場だったこともあって)プレートテクトニクスに強硬に反対したのです。この経緯については、泊次郎氏の『プレートテクトニクスの拒絶と受容』(東京大学出版会、2008年、3990円)において実証的に詳しく書かれているので、興味のある方はご覧になってください。
 この結果、高校地学の教科書ではかなり後まで、地向斜説が残っていました。1970年代ころから、プレートテクトニクスの紹介も出始めたのですが、両論併記、教科書会社によって、地向斜説とプレートテクトニクスの扱いの軽重が異なる、つまりある団体に所属している人たちが執筆陣に加わっている教科書会社の教科書では地向斜説に重きを置き、1990年代前半までその記述が残っていました。
 悪意でプレートテクトニクスに反対したとは思えませんが、やはりその人のイデオロギーがプレートテクトニクスを受け入れなかったのだと思います。
またまったく別な問題として、単純にお金の問題もあります。データの集積が科学の発達の上に必要不可欠なものだといっても、そのデータの集積には莫大な経費かかることが多いのです。惑星探査機、巨大望遠鏡、超巨大加速器などはその典型でしょう。地球科学においても、深海掘削船「ちきゅう」(これだけで建造費600億円以上)を作ったのはいいが、運用費(年120億円以上が必要?)がきちんと保証されていないという問題を抱えています(“事業仕分け”の対象になったりします)。
 これはすなわち、われわれ納税者の意識の問題ということにつながります。何を優先するか、とりわけ東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故を考えると、限りある財源をどう振り分けるかということですから、非常に難しく、また悩ましい問題であると思います。

『地球について、まだわかっていないこと』の詳細はこちら

2011年12月15日

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