検索
  • 著者のコラム

映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-5-

著者 吉田泉(仏文学者)

第5回 時を経て独り歩きする映画の話

みなさんは映画が好きですか?

こんな書き出しで前回ベレ出版のコラムを連載したのは2020年11月でした。新型コロナ感染症を中心として、あのときから現在まで世の中も様々に変容を遂げたようにも感じられます。

しかし世相は変わっても、なかなか変わらないのが私たち人間でもあります。
「映画字幕の舞台裏…」――このタイトルでの私の話に興味をもってくださった方々に感謝します。そして再びこのコーナーに出させていただけるのを光栄に思っています。

今回は、芸術作品(ここでは映画)がいったん制作者の手を離れ、時の経過とともに思いもかけない方向に進んでいき、思いもかけない余波を生むこともあるものだということを、お話ししたいと思います。

フランス映画は本来エンタ?

『恐怖の報酬』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督1953年フランス映画)の字幕翻訳も私の記憶に残る大作でした。下世話な話ですが、普通NHKは10分の映画フィルムの長さを一単位としてギャラが払われます(2時間の映画なら10分のギャラ×12です)が、この映画だけは別のプロダクションからの依頼だったせいか、映画全体としてギャラが支払われました。破格の高額だったことを何十年たった今も覚えています。

2時間半の長い映画でしたが、息もつかせぬスリルとサスペンス満載です。フランス映画は人生ドラマ、シリアスなものが多いというのも本当ですが、この時代のものにはほんとにエンターテインメントに徹しているものが多くあります。中央アメリカ、ヴェネズエラの油田が火事になります。その消火のために4人の食いっぱぐれ外国人がニトログリセリンを山また山を越えて運ぶ、というただそれだけの筋なのですが、クルーゾー監督の執拗なリアリズムは観客を否応なく物語に引きずり込みます。この映画には油田を中心として世界を席巻するアメリカ資本の搾取という側面もあったのでしょう。またいかにフランス映画がエンターテインメントを重要視していたかの証明でもあります。とにかく面白い。4人のうちのひとりを若き日のイヴ・モンタン(もちろん有名な歌手)が演じています。

若かりし頃のイヴ・モンタン
©1951 TF1 DROITS AUDIOVISUELS - PATHE RENN PRODUCTIONS - VERA FILM - MARCEAU CONCORDIA - GENERAL PRODUCTIONS 写真提供:博報堂DYミュージック&ピクチャーズ

このイヴ・モンタンの配役名がマリオといいます。イタリア系の名前です。一方、4人のうちにはやはりイタリア系でルイージという、太っちょの人物も登場します。マリオはジョーという初老の人物と組になって、ルイージはニヒルなビンバという男と組になってトラックに乗り込みます。つまりどちらかのニトロが爆発しても、もう一方のトラックは大丈夫かも知れない、という「ソーシャル・ディスタンス」です。

ルイージとビンバ
©1951 TF1 DROITS AUDIOVISUELS - PATHE RENN PRODUCTIONS - VERA FILM - MARCEAU CONCORDIA - GENERAL PRODUCTIONS 写真提供:博報堂DYミュージック&ピクチャーズ

ゲームのキャラクター名へ…

ところで、みなさん、今言った中で、マリオとルイージの名前、どこかできいたことはありませんか?そうです、ゲームのスーパーマリオ・ブラザーズのキャラクターですよね?このゲームに夢中になった世代の方々も多いのではないかと思います。

問題は、『恐怖の報酬』のマリオとルイージが、ゲームのスーパーマリオ・ブラザーズとどういう関係があるのか?という点です。私の結論から申し上げると、このゲームのキャラクターの名前は、どうみても『恐怖の報酬』のマリオとルイージから来ているとしか思えません。

『恐怖の報酬』のワンシーン
©1951 TF1 DROITS AUDIOVISUELS - PATHE RENN PRODUCTIONS - VERA FILM - MARCEAU CONCORDIA - GENERAL PRODUCTIONS 写真提供:博報堂DYミュージック&ピクチャーズ


任天堂アメリカの広報部にこの疑問について質問をした人も何人かいました。会社は次のように返答したそうです。ゲームのキャラクターの名前を模索している時に、ちょうど建物の管理人が事務所に入って来た。その管理人がマリオの顔にそっくりで、そしてその人の名前がマリオだったからマリオとなった、と。ではルイージについては?ルイージはマリオにそっくりなキャラクターだからルイージ(類似)だと。

不思議な返答だと思いました。こんなイタリア人の名前の組み合わせの生まれる確率は、決して高いものではありません。ルイージ(類似)にいたっては、ちょっと言葉を失います。これをすんなり『恐怖の報酬』起源と考えてはダメでしょうか?

木を見て森を見ず

別の解釈もあります。実は任天堂アメリカのそばにはピザ屋があり、その店の名前が「マリオ&ルイージ」だというのです。だからマリオという名は仮に任天堂の言うように管理人だとしても、ルイージはこのピザ屋から取ったのではないか、という解釈です。むー。百歩譲ってそうだとしても、ではピザ屋はどこからこの名前の組み合わせを持ってきたのか?『恐怖の報酬』まで遡ると考えられませんか?

字幕翻訳者はある意味職人です。細かいことにこだわり、なるべく正確にと腐心しています。そして森全体を見ていないこともあります。この字幕を終え、何十年もして、私はふとこの名前の組み合わせの偶然に気づいたというわけです。

木の後ろにある町

山あり谷ありだから

「マリオとルイージ」について、本当のところはわかりません。この映画も時代を経て独り歩きしてしまっています。ただ私は頑なに『恐怖の報酬』をその本家とみています。任天堂さん、ごめんなさい。

しかし、みなさん、二人の名前はどう見てもこのゲームにふさわしいですよ。だって、この映画もゲームも山あり谷ありなのですから。

次回は『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督1960年フランス・イタリア映画)のお話をしましょう。お楽しみに。

著者、吉田泉
NHKテレビ『世界名画劇場』字幕翻訳担当時の著者(左)

記事を書いた人:吉田泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

7月新刊です△

学びたい人応援マガジン『まなマガ』

ベレ出版の新刊情報だけでなく、
「学び」に役立つさまざまな情報を月2回お届けします。

登録はこちら

ベレ出版公式SNS

週間ランキング情報やおすすめ書籍、書店様情報など
お知らせしています。ベレ出版マスコット犬「なみへいさん」の
LINEスタンプが登場!