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Mystery Parrotコラム第4回: インセルスラングはどのように一般社会に浸透していったか

著者 Mystery Parrot (ミスパロ)

前回、「ネットスラングは、社会の周縁のコミュニティで誕生する」ということを、オンライン掲示板上の「インセル・コミュニティ」の例をあげて説明しました。

今回はそのような「インセル・コミュニティ」で生まれた「インセル用語」が、どのように一般社会に拡散し、メジャーなスラングとして確立されていったのか、というその過程について書きたいと思います。

インセル文化から生まれた語彙の多くがアメリカのスラングとして一般化した一番の理由は、「インセル界隈では語彙がミーム化されやすかったから」と言われています。
そもそも「meme (ミーム)」とは、英国の進化生物学者リチャード・ドーキンスが、文化にまつわる情報を gene (遺伝子) になぞらえて提唱した造語。今では「ネット上で拡散される画像や動画などのネタ的コンテンツ」の総称として使われます。

ネット環境下で息づくインセルたちにとって、4chan、Reddit、Discordといったミーム文化が盛んなオンライン掲示板や SNS、ボイスチャット は、まさしく自身の本領を発揮できるスペース。それゆえ、自分たちのコミュニティから新しい造語が生まれるやいなや、お得意のミーム作りの手法で即座に画像にしたり動画にしたりしたわけです。

先週、インセルの象徴である「童貞 (Virgin)」とその対極に位置する「性的に勝ち組の男チャド (Chad)」の概念、またその二つを対比したテンプレ化イメージをご紹介しましたが、これがまさしくインセルミームの代表的なもの。

下のミーム左側の「童貞 (Virgin)」は「インセル」の自己嫌悪が投影されたもので、自信のなさそうな前のめりの姿勢、目立たない暗めの服装、からだの中に折り込むように堅く握られた拳など、他者と関わることへの忌避感がにじみ出ています。
他方、右側の「性的に勝ち組の男チャド (Chad)」の絵柄は、「インセルが自分の対極にいると感じる男性」が持つすべての要素を体現。突き出した顎のラインは傲慢な不遜さを、大きく広がる筋肉質の両腕は無頓着な開放性を、原色で露出度の強い服装は自己主張の強さを、そしてユーモラスに盛り上がった股間は性生活の充実を象徴しているかのよう。

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インセル・ミームが拡散されやすかった理由の一つは、一発で頭に入るイメージ性があげられるでしょう。説明不要でネタとして使えるため、インセルコミュニティの外部の人間でも拾いやすかったわけです。

「童貞 vs チャドのミーム」は、「ひ弱で不器用で女に相手にされない男」と「なんの努力をしなくても女が群がる男」というユーモラスな対比ですが、同時にインセルの世界観を象徴しているとも言えます。
その世界観とは、男は「モテるかモテないか」の二択しかない性市場観。
そしてそのような性市場にあっては、顔立ちや体格に恵まれた男「チャド」には女が群がり、恵まれない「童貞」はどんなに努力しても顧みる女はいない、という諦念が支配。
さらに「このような不公平な世界は誰のせいか?」という問いの帰結は、 「選ぶ性」つまり「女性」。その結果、「女は薄っぺらくて偽善的で残酷」という憎しみ、つまりミソジニーにつながっていきます。

このような不毛な世界観を言葉で伝えようと試みたら、大方の人間は一蹴しそうなものですが、「童貞 vs チャドのミーム」は、「負け組の男 vs 勝ち組の男」の対比という誰にとってもわかりやすい絵柄が醸し出すユーモアのせいで、インセル文化とは無縁な一般人にもブラックジョークとして消費されることができました。
結果的に「童貞 vs チャド」のミームは、SNS を通じて爆発的に広がっていきます。

ミームのもう一つの特質は、模倣されながら拡散されていくこと。私たちは誰しも面白いと感じたものや共感したものを、真似てみたりいじったりしてみたい、という欲求を持っていますよね。ちょっとバカバカしくて、笑いを誘うものならなおさらです。このようなミームを自己流にアレンジすることで、他の SNS ユーザーと絡んだりして仲間意識を味わい、遊び心と社会的欲求をくすぐられることこそ、SNS の醍醐味と言えるかもしれません。
そういうわけで、「童貞 vs チャドのミーム」は「童貞 vs チャドの歩き方の対比」に変化。そしてそこからさらに模倣されて、さまざまなバージョンを生み出していきます。

例えば、以下は「童貞 vs チャドの座り方の対比」。
隣に座る他人に遠慮して片側に寄るようにして浅く腰をかける童貞。外の世界を認識しなくてもすむようにイヤホンをつけてスマホを集中。目立たないように極力、前かがみに。
他方、チャドは他人なんてお構いなしにスペースを占有。まっすぐに背筋を伸ばしつつも我が物顔でリラックス。常に上を向き、無遠慮な目で周囲の人間を眺め回し、視線を合わせます。圧倒的にリア充なので、そもそもケータイなんて持ち歩きません。

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「童貞 vs チャドの座り方の対比」

さらに下は「用を足す童貞 vs チャドの対比」。
他人とのあいだに最低でも小便器二つは挟まないと落ち着いて用を足せない「童貞」。誰とも視線を合わさないように顔をそむけ、パンツも最小限しか下さず、周囲を気遣って間髪的にチョロチョロと用を足します。
それとは対照的に、わざわざ先客たちのあいだに割って入って用を足す「チャド」。隣の人間としっかり視線を合わせ、必要もないのに親しげにハグしたり、肩に手を回したり。パンツを蹴り下ろして一物を振り回し、ジャバジャバと滝のような尿を放出しつつ、耳が割れるような大声を発します。トイレに他人がいなければ、失望して用を足さずに退室するのではないだろうか、と思わせるほどのはしゃぎぶり。

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画像「用を足す童貞 vs チャドの対比」

このようなふざけた「童貞 vs チャドのミーム」が何十個となく模倣、変換されて拡散するにつれて、インセル界隈では「うざったいモテ男」といった必ずしもポジティブではないニュアンスで使われていた「Chad (チャド) 」という名称も、一般ネットユーザーや若年層の間でスラングとして定着して行きました。そしてそのニュアンスも「大胆不敵な陽キャ男」といった皮肉交じりの称賛に変化。

例えば、

That guy just walked into class in pajamas. Absolute Chad move.
あいつパジャマのまま授業に来たぞ。とことんツワモノだな

といったような使われ方です。

「童貞 vs チャドのミーム」はインセル界隈から生まれた無数のミームのほんの一例に過ぎないのですが、ミームが語彙の拡散に貢献した過程をよく表しています。
ただし「チャド」はあくまでも固有名詞的な形容詞なので、スラングとしてアメリカ英語全体に与えた影響はそれほど大きくはなかったように思います。
そこで、もう一つ、アメリカ英語スラングにより広範な影響力を与えたと思われるインセル由来の動詞の模倣と拡散の経緯を見てみましょう。

前回ちらっと紹介したインセルたちが非モテから脱却するために「市場競争力をできる限り高める」という意味合いで使われる Maxxing (マックス化) 。
語頭に「見た目」を意味する Looks をつけた Looksmaxxing は「容姿を最大限に向上させる」いう動詞としても、そのような行為を表す名詞としても使えます。インセルたちはモテ男は「きりっとした眉」「ハンターのような鋭い眼光」「シャープで男らしい頬骨」「意志の強さを感じさせる顎のライン」といったパーツを持っていると考え、これらを手にいれるための疑似科学的な手法を論じ合いました。
例えば、一人が「顎と頬骨のラインをよりシャープにするためには、 舌を絶えず口蓋に強く押し当てるといい」と唱えると、インセルたちはその行為を Mewing と呼び、こぞって模倣。

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ですが、Looksmaxxing という言葉の一般化に一役も二役も買ったのは、面白いことにインセルたちとは対極にある存在とも言える「美容垢の女性たち」。Looksmaxxing という言葉を発見すると、インセル用語と知ってか知らずか、「容姿を最大限まで磨く」という意味でただちに借用。

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実は、美容垢の女性たちの方にも、Looksmaxxing といったインセル用語を借用するメリットは確実にあったのです。
なぜかというと、インセル用語には人間の優劣、ヒエラルキー、性的な鬱積など「感情を刺激するコンテンツ」がふんだんに盛り込まれているという特徴が。そしてこの種の内容は、 SNS でのエンゲージメントが高く、各種プラットフォームのアルゴリズムに好まれたため、結果的に多くの人々の目に留まる確率が高かったのです。
このような構造に後押しされた結果、Looksmaxxing というインセル用語は美容垢をはじめとするユーザーを介して爆発的に拡散されていきました。

また、インセルが自身を最適化する手段 (maxxing) として試したのは、容姿にとどまりませんでした。例えば、「収入の増大 (moneymaxxing)」、「ステータスの獲得 (statusmaxxing)」、「人脈の開拓 (socialmaxxing)」なども追及。新しい試みが検討されるたびに、対応するスラングも次々に増えていきました。

以下は、この種のさまざまな「最適化 (maxxing)」行為の中で、「実際に女性にモテるためにはどれが最も投資利益率が高いのか」ということを、かなり真剣かつ多角的に検討してランキング付けした爆笑動画。
例えば、gymmaxxing は「ジムで筋トレして最大限まで体づくりをすること」ですが、この動画制作者は「looksmaxxing (容貌最適化) の下に位置する」と断言。なぜならヒョロヒョロしたイケメンが女性にモテている例は多いけれど、せっせとジムに通う筋肉ムキムキマンはそれ自体では大して女にモテず、寄ってくるのはゲイばかり、という論理。
また、この動画を見ると、まず maxxing 行為がきわめて多岐に渡ることに驚かれることと思います。
例えば edge は「角」「尖り」ですが、これを語頭につけた edgemaxxing は、素っ気ないキャラをまとうことにより、特別感を出してモテようとする戦略。日本語の「ツンデレ男子」を志向するようなものかもしれません。これはランキング低め。
また、volume-maxxing は出会う女性の量を最大化する試み。女性目線からすると裏目に出そうな戦略ですが、動画制作者は迷うことなく投資利益率トップにランク付けします。

■さまざまな maxxing 格付け動画

https://www.youtube.com/watch?v=7sFFkGwwVuM&t=956s

このように -maxxing という接尾辞はインセル界隈で増幅され、何十ものバリエーションを生み出したのち、「女にモテるための最適化」という文脈を離れて独り歩き。その結果、一般ネットユーザーのあいだで「~しまくる」といったニュアンスで日常生活の指針をユーモラスに表現するように。
例えば、napmaxxing は「昼寝しまくること」、mealmaxxing は「食事しまくること」、catmaxxing は「ネコとの生活を堪能しまくること」といった具合。
ご参考までに、下の TikTok 動画はあるインフルエンサーによる slowmaxxing (ゆったりした時間の最大化) を奨励する動画。ですが、すっかりオシャレになってしまい、インセル由来の語源であることを微塵も窺わせません。

■slowmaxxing 動画

@frankiehelen

Slowmaxxing: not rushing through everything and being as present as possible slowmaxxing: @monrovîaboy core #slowliving #slowmaxxing #pinterestaesthetic #cottagecore #cozyhome

♬ Lullaby - The Chicks

インセル文化から派生したスラングの拡散過程をたどることは、単なる言語変化の観察にとどまらず、孤立したサブカルチャー由来の語彙が、ミーム化という媒体を経由して大衆文化に吸収されていく過程を追っていくこととも言えます。
絶望や自嘲を帯びたインセル語彙が、より広範なネットユーザーに笑いや皮肉として再利用されていくプロセスは、現代のオンライン環境における力関係やアルゴリズムの分析にもつながります。
インセル・スラングは、すなわち周縁から中心へと移動する言語の旅路を可視化する素材で、今後のデジタル社会における言葉の流通のあり方を考える上での重要な手がかりと言えるかもしれません。


記事を書いた人:Mystery Parrot (ミスパロ)
エンタメ翻訳家。幼少期より日米間を往復。アメリカの現地高校を卒業後、国際基督教大学にて学士号、アイビーリーグ校 University of Pennsylvania にて修士号 (Master of Liberal Arts in Philosophy) を取得。
住友商事の NY 現地法人で勤務の後、Accenture NY 本社 にて日本・アジア向けイントラネットコンテンツ作成。その後、ミステリーからロマンスまで様々なジャンルの文芸作品、国民的人気アニメ、ベストセラービデオゲーム等の翻訳に専念。
こう書くとあたかも生産的な人生を送ってきたように聞こえなくもありませんが、読書やゲームに耽溺し、廃人同様の生活を送った時期も長く、常にその時期への郷愁を胸に抱えて生きています。
X では物心ついた頃から住んできた米国の政情や文化、英語版 Xで目についたツイートのシェア、時折は英語フレーズの解説なども行っています。@ParrotMystery にてぜひフォロー下さい。

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