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英語が君臨するこの時代に #2

第二回 ロバート・フィリプソンの主張――英語帝国主義

(前回の記事はこちら)
第一回 水村美苗の主張――『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』

 前回は、水村美苗著『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』を取り上げ、その主張に疑問を呈したところで終えました。今回はその主張とはまったく異なる考え方を取り上げます。それは支配的言語のあり方に帝国主義を見出し、これを問題視する言語帝国主義の考え方です。なかでも特に英語帝国主義に焦点を当てたいと思います。

英語帝国主義とは

 実は、「英語帝国主義」という言葉は、水村の『日本語が亡びるとき』のなかにも一度、登場します。『想像の共同体』の著者、ベネディクト・アンダーソンが、英語を単に〈国語〉の一つとしてしか見ておらず、〈普遍語〉としての英語についての考察を欠いているという批判的文脈のなかに、この語が出てくるのです。曰く、「アンダーソンの立場は多言語主義とよばれるものである。英語帝国主義なるものに反対するヨーロッパの知識人の典型的な立場」である。ここから水村が多言語主義に批判的であり、英語優位を前提とするという点において、むしろ英語帝国主義的な立場にあることが読み取れます。実際、彼女は、どの〈国語〉も皆平等であり、等しく学ぶ価値があるという多言語主義の理想は非現実的であり、「多言語主義は、英語の覇権を認識し、その次に何ができるかを考えるときに初めて現実的な意味をもつ」とも述べています。
 
 言語帝国主義の理論は、支配的言語による他の言語や文化への差別や不正を可視化し、その是正の手がかりとなることを目的としています。つまりある言語の優位性そのものを疑うという点において、水村の主張とはまさに相反するものです。 
 言語帝国主義という言葉が広く認識されるようになったきっかけは、1992年に刊行されたロバート・フィリプソンの著書『言語帝国主義――英語支配と英語教育』(Linguistic Imperialism)にあります。フィリプソンはこの本を通じて、「英語が世界語と見なされる現代的な現象を探究し、英語がいかにして、またなぜこれほど支配的になったのかを分析」し、そこに英語帝国主義の構造を見出しています。英語帝国主義とは、フィリプソンの定義によれば、「英語と他の言語の間に構造的・文化的不平等を確立し、それを絶えず再構築することによって、英語の支配的地位が主張され維持されること」です。ここで「構造的とは物質的特性(たとえば制度、資金配分)」を、「文化的とは非物質的・理念的特性(たとえば態度、教育原理)」を指します。この英語帝国主義の定義については後ほど戻ることにして、次にフィリプソンの主張のポイントをいくつか拾い上げてみましょう。

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ロバート・フィリプソン 著『言語帝国主義: 英語支配と英語教育』三元社
Robert Phillipson. Linguistic Imperialism. Oxford University Press.

言語の広がりは征服と占領の証拠

 フィリプソンによれば、ある言語の世界的な広がりとは、「征服と占領の証拠であり、その後、支配的な言語が押しつけられたときに、その言語の話者となることで得られる利益のために、その侵略者の言語が採用されたこと」を意味します。つまり占領後には、支配的言語の習熟度によって経済格差などの社会的不平等が生じる仕組みが作られるのです。
 植民地化の試みにおける言語の重要性は、初期段階からすでに認識されていたとフィリプソンはいいます。コロンブスが新大陸へ出発したのと同じ1492年、スペインの文法学者アントニオ・デ・ネブリハは君主イサベル女王に、カスティーリャ語を「海外征服のための道具として、また国内では規範にとらわれない家庭内の自由な話し言葉を制圧する武器として」確立する計画を提示し、「言語はいつも帝国の伴侶でありましたし、また永遠に同志としての役割を果たしつづけるでしょう」と進言しました。カスティーリャ語は現在のスペイン標準語の基礎となった言語です。このエピソードからは国内統治においても国外の植民地化の試みにおいても、言語がいかに重要視されていたかが伝わってきます。
 英語はといえば、この当時は500万ほどの話者がいるだけのマイナーな言語でした。それが17世紀から19世紀にかけてのイギリスによる征服、植民、貿易の成功に加え、第二次世界大戦後にアメリカ合衆国が軍事大国として台頭したこと、また科学技術面でもリーダーシップを握るようになったことなどにより、世界語とまで見なされるようになっていくのです。ネブリハのエピソードを念頭に置けば、この広がりは支配圏の拡大に伴う自然な現象ではなく、むしろ積極的な推進の結果であると推察しうるでしょう。

ポスト植民地時代の英語帝国主義――英語教育

 ただしここで注目すべきは、英語の広がりが植民地時代のみならず、ポスト植民地時代においてもなお持続しているという点です。実はこの点にこそ、フィリプソンの主眼があります。つまり彼が植民地時代を参照するのは、現代にまで続く英語の広がりに、植民地時代の姿勢を引き継ぐ英語帝国主義を見出しているからなのです。そして英語帝国主義に深く加担するものの一つとして、彼が特に問題視するのが英語教育です。
 英語教育に関する記述が見出せる最初期の例として、フィリプソンはデフォーの『ロビンソン・クルーソー』から、無人島に漂着したイギリス人のロビンソン・クルーソーが、先住民のフライデーに英語を教えることにした理由を語る、次の一節を取り上げています。

私(クルーソー)は新しい仲間(フライデー)を得たことを大いに喜び、彼を役に立ち、器用で、頼りになる存在にするために必要なことをすべて教えるのを自分の務めとした。だがとりわけ、彼に言葉を話させ、私のいうことを理解させることに力を入れた。そして彼はこれまでにないほど物覚えのよい生徒であった。

この場面からは「言語を共有する動機」や「二者の権力関係」、さらに「奴隷制全盛期の西洋社会における人種構造」を読み取ることができると、フィリプソンはいいます。さらに彼は、「少なくとも植民地支配者と関わる者にとって、植民地という周縁的な英語社会で活動するには英語の習熟が不可欠だった」と指摘しています。この点は、先に触れた支配的言語の習熟度による格差の原点とも見なし得るでしょう。
 ただし前述のように、フィリプソンが植民地主義時代の言語政策を考察するのは、その遺産がポスト植民地時代の現代にもなお受け継がれていることを明らかにするためです。つまり彼は、ロビンソン・クルーソーの姿勢が今なお英語教育推進の根底に引き継がれていると考えているのです。「ロビンソン・クルーソーはブリティッシュ・カウンシルの知られざる創設者だ」という皮肉な発言が、アカデミックな場で飛び出したというエピソードを彼は紹介してもいます。
 ブリティッシュ・カウンシルとは、1935年に「大英帝国の国益および英語を推進するために設立」された組織であり、1950年代半ば以降は米国とも協力し、英語の普及を両国の利益と支配権拡大の必要条件として、英語教育を推進してきたのだといいます。

常識を作る力――グラムシによるヘゲモニー

 ではポスト植民地時代において、なぜ英米の思惑どおり英語教育が受け入れられ、英語が今なお広がり続けているのでしょうか。植民地時代とは異なり、ポスト植民地時代には直接的な支配が存在するわけではありません。それでも英語帝国主義が成り立つのはなぜなのでしょうか。
 フィリプソンはこの説明に、イタリアのマルクス主義思想家アントニオ・グラムシによる「ヘゲモニー」の概念を応用しています。グラムシはヘゲモニーを「市民の自発的同意を組織する権力」と捉えました。支配集団はメディアや教育などを通じて自発的同意を誘導することで、支配を正当化し、成り立たせるのです。ここで自発的同意とは、自然のこと、当然のこととして内面化することを意味しています。いいかえればヘゲモニーとは社会の「常識」をつくる力です。そしてその「常識」は固定的なものではなく、社会状況の変化に応じて常に再構築され続けるのです。
 ここでようやく先に掲げた英語帝国主義の定義、すなわち「英語と他の言語の間に構造的・文化的不平等を確立し、それを絶えず再構築することにより、英語の支配的地位が主張され維持されること」の意味が明らかになります。フィリプソンは言語帝国主義の要素のなかに、「支配的言語には、他の言語よりも多くの物的資源やインフラが割り当てられている」こと、また「信念、態度、イメージが支配的言語を美化し、他の言語を貶め、言語的階層を正当化する」ことを挙げています。前者が「構造的」不平等、後者が「文化的」不平等に当たります。そしてその具体的内容が状況に応じて「常に再構築され続ける」ことで、英語の支配的地位が正当化され維持されるのです。例えば植民地時代に文明の言葉とされた英語は、ポスト植民地時代の多くの言説において「進歩、近代性、国民統合の言語」として位置づけられました。こうした言説がメディアや教育などを通じて拡散され、その状況下における社会的な「常識」として人々に内面化されることで、もはや疑われることがなくなるのです。このことは自発的な英語学習者の増加を説明するものでもあるでしょう。
 フィリプソンは「英語と英語教育は、支配的集団の価値観を支持し、かつ英語の優位性が「常識」として社会的に正当化され、さらに支配的イデオロギーや支配的な教育実践が誰の利益に奉仕しているのかが隠蔽されるならば、ヘゲモニー的である」と述べ、「ヘゲモニーの文脈において〔……〕英語帝国主義を分析することは、変化の可能性を閉ざさないことなのだ」と述べています。

 もちろんフィリプソンの主張に対しても批判はあります。例えば、英語の拡大を支配構造だけで説明しすぎている、と考える人もいます。けれども英語の優位性が当然のことのように見えるとき、彼の主張はそれを疑う契機をもたらしてくれるのです。
 次回からは二回にわたり、作家J. M. クッツェーが、英語のヘゲモニーへの抵抗を実践する様子を見つめます。


川村 由美(かわむら ゆみ)
早稲田大学大学院人間科学研究科ほか非常勤講師。桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業後、音楽および舞台全般に関わる雑誌編集等を経て、早稲田大学大学院文学研究科に進学し、同大学院博士課程修了。博士(英文学)。著書に『J・M・クッツェー 命をめぐる思索――『夷狄を待ちながら』から『恥辱』へ』(水声社 2025年)。

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