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格言で学ぶラテン語 #2

時は逃げる。
Hora fugit.
ホーラ・フギト

著者 山下太郎

 ラテン語は格言の宝庫です。格言は浜辺で見つける貝殻のようなもので、格言に親しむことは、その貝殻を眺めながら目の前に広がる海に思いをはせるのと似ています。ラテン語の海とは、ウェルギリウスやキケローをはじめとする二千年前のローマの古典作品の数々です。ひとつ一つの格言を丁寧に読み解くことで、背後に横たわるヨーロッパ文学の母胎(マトリックス)に思いをはせていただけたらと願います。

 ありふれた言葉を二つ並べただけのことわざですが、時の過ぎ行く速さを強く印象づける言葉です。主語のhōraは英語のhour(時間)の語源ですが、類義語にtempusがあり(フランス語のtempsの語源)、表題と同じ意味を表す格言としてTempus fugit.も知られます。

 ローマの詩人ウェルギリウスの『農耕詩』に次の表現があります(3.284-285)。

Sed fugit interea, fugit inreparabile tempus,
singula dum capti circumuectamur amore. 285

だがその間に逃げていく、逃げ去るのは取り返しのつかない時間。
われわれが細部に捕らわれ、熱心に拘る間に。

 詩の本題からそれた話題を熱心に語る間に、「取り返しのつかない時間が逃げ去る」(fugit inreparābile tempus)と述べています。ありふれたTempus fugit.ということわざにinreparābile(取り返しのつかない)という形容詞を添えた点に詩人の工夫があります(辞書の見出しはinreparābilis)。主語のtempusが動詞fugitの後に来ることはラテン語ではよくあることです。inreparābileは形容詞でtempusにかかり、「取り返しのつかない時間が」と訳すのが基本ですが、これを副詞的用法とみなし、「時間は取り返しのつかない状態で逃げ去る」と直訳したうえ、「時間は後ろを振り返ることなく逃げ去る」や、「時間は逃げ去り、取り戻せない」と意訳することも可能です

 ウェルギリウスは、上の引用に先立つ箇所(3.66-67)で、「哀れな死すべき生き物にとって、各々の最良の日はいち早く逃げる(optima quaeque diēs miserīs mortālibus aevī prīma fugit)」とも歌っています。太字の部分だけをつなぐと「日は逃げる」(diēs fugit)となり、表題のHōra(時)をdiēs(一日)に入れ替えた表現であることがわかります。ウェルギリウスは、家畜の世話の心得を語る文脈において、このように命の短さを強調した上で、常に年老いた家畜を淘汰し若い家畜と入れ替えることによって群れの維持に努めるべきだと述べています。

 セネカは『人生の短さについて』と題する作品の中でこの箇所(「哀れな」で始まる表現)を引用し、あてのない未来に空しい希望をつなぎ、かけがえのない今というこの瞬間を犠牲にしている人間に対し、「ただちに生きよ」(Prōtinus vīve)と訴えています。これは、マルティアーリスの「今日生きよ」(Vīve hodiē)や、ホラーティウスの「カルペ・ディエム」(Carpe diem.)と同じメッセージですが、「今日」でなく「今この瞬間に」(Prōtinus)と表現する点にセネカの主張の力強さが感じられます。

 時は逃げる、そして未来はあてにできない。だから、今日が最後の一日だと思って生きるべし。日々そう思って生きれば悔いのない人生が送れる。ある意味で、当時のローマ人にはおなじみの考えでした。

【ラテン語解説】

■ Hōra:hōra,-ae f.(時)の単数・主格。
■ fugit:fugiō,-ere(逃げる)の直説法・能動態・現在、3人称単数。


記事を書いた人:山下太郎
ラテン語愛好家。1961年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程学修退学。専攻は西洋古典文学。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。問い合わせ先 https://aeneis.jp

山下先生の前回の連載はこちら

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