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映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!-6-

著者 吉田泉(仏文学者)

第6回 青春そのもの『太陽がいっぱい』

またお会いしましたね。あなたは映画が好きですか?

『太陽がいっぱい』(1960年ルネ・クレマン監督 フランス・イタリア映画)をご存じですか?この映画の登場のころに多感な青春時代を過ごされ、克明にこの映画のシーンの数々を記憶していらっしゃる方々も多いのではないでしょうか。

『太陽がいっぱい』のワンシーン
Ischia Ponte Nouveau(WIKIMEDIA COMMONS)

私もそうでした。『太陽がいっぱい』が私の青春に大きな影響を与えました。特にあっと息を飲むラストシーンは映画史に残る極めてキレの良い終わり方で、誰かに言わずにはいられないエンディングです。ネタバレはすべきか、せざるべきか……。金持ちの息子フィリップをアメリカに連れ戻すミッションを与えられたのが、アラン・ドロン扮するトムです。彼はこの一作で世界的スターとなりました。貧乏だったトムはフィリップに接するうちに彼の財産と彼の恋人マルジュの両方を手に入れる完全犯罪を計画し、実行します。それがヨット上の殺人です。舞台は紺碧の地中海、名手ニーノ・ロータの哀愁漂うテーマ曲が、虚無的な若者たちの愛と死を見事に演出します。しかし最後の最後になって、ただのワンシーンでトムの犯罪は暴かれてしまいます。NHKの字幕をやるようになって、いつかはこの映画ができるのではないかと、一縷の希望を持っていました。だから、ある日担当ディレクターが「君はこれをやりたいと言ってたよな」と言いつつ次回の作品は『太陽がいっぱい』だと切り出した時は、天にも昇る気持ちでした。

『太陽がいっぱい』タバコを咥える女性
トムがフィリップに手紙を届けるシーンで使われた場所(WIKIMEDIA COMMONS)

字幕翻訳者は語学以外の勉強もする?

ただ封切の時から私がテレビ用に字幕翻訳を制作する間には、かなりのタイムラグがありました。青春から中年初期にさしかかっていました。その年齢で字幕翻訳者としてフランス語のセリフをつぶさに見て行くと、また違った様相の『太陽がいっぱい』が表れて来ました。

『太陽がいっぱい』のトムとマルジュがバスを待っているシーンの撮影場所
トムとマルジュがバスを待っているシーンに使われた場所(WIKIMEDIA COMMONS)

テレビ放映権を得た外国映画の映像を局からもらって、字幕翻訳者はまず何をするでしょうか?

当然セリフを理解してどう翻訳しようかと考えます。ところが、実は映画字幕は皆さんが想像されるよりも、かなり翻訳者のその映画に対する解釈に左右されているのです。これは私の実感です。だから、あらゆる翻訳ものと言われるものも、やはり大なり小なり翻訳者の解釈にけっこう色づけされているのではないかと、私は強く疑っています。

字幕翻訳者も映画を解釈しています。もちろん根拠は中で語られているセリフがすべてなのですから、それほど映画の翻訳は違わないのではないかとも普通には思えます。

しかし皆さん、セリフの意味がよくわからなかったり、なぜここにこのセリフが必要?とか、様々に疑問が生じてきたら、どうすればいいでしょうか?映画について調べる必要性がここに生まれて来ます。

ひっかかるセリフ

さて、『太陽がいっぱい』ではヨットの旅に出るのが男性二人、女性一人の三人です。アラン・ドロン扮するトムは、既にカップルとなっているフィリップ(金持ちのどら息子)とその恋人マルジュにとってはオジャマ虫なのです。一般的に言っても、長いヨットの旅に、男性二人、女性一人という組み合わせはヨーロッパでは考えられません。男性二人、女性二人であるべきです。

そんな中、フィリップと二人でいる時にマルジュがふと言います、「ねえ私だけじゃ不満?」と。これにとどまりません。三人で話をしている時、トムが自分とフィリップの子供時代の思い出を語ります。「舟遊びをしていて溺れかけたね」。そして付け加えます、「本望だけど」と。フランス語ではこの部分はJe t’aurais suivi en enfer.
なんとまあ「地獄まで君のあとを追っただろう」という直訳になります。

これはなんか変だぞと思いました。なんでこんなことを言う?男性が男性に対して?そこで作品の周辺をそれとなく調べます。

『太陽がいっぱい』のラストシーン
映画のラストシーンの場所 Spiaggia Maronti(HansK_WIKIMEDIA COMMONS)

先達の知恵

淀川長治さんがどこかで書いておられたひとひと言が眼から鱗でした。

この映画にはトムとフィリップの同性愛も描かれている……。へえ。それを知らずに何回となくこの映画を見ていたこと自体が問題だったのかもしれません。

つまり、フィリップは、トムとマルジュが相手のバイセクシュアルだったということになります。そう思って、やはり同じパトリシア・ハイスミスの原作から作られた『リプリー』(1999年マット・デイモン主演アメリカ映画)を見てみましたが、これには確かにその様態がはっきりと表現されています。

実は「地獄まで君のあとを追っただろう」という直訳を「本望だけど」という字幕に私がしたのは、そうしたいきさつを踏まえて捻りだしたメッセージだったのです。

アラン・ドロン
Alain Delon(Reporters Associati & Archiv_Mondadori_WIKIMEDIA COMMONS)


アラン・ドロンのあの美貌が必要とされたのは、そのような暗黙の筋が『太陽がいっぱい』の裏にはあったせいに違いありません。1960年と1999年のあいだには同性愛やバイセクシュアルに対する社会のスタンスも変化しています。

学習した字幕翻訳者は字幕にその解釈をそれとなく込めることがおわかりいただけたでしょうか?

さて、やっぱり最後にネタバレをやります。
(知りたくない方はここまで)

トムは船上でフィリップを殺害しすぐに死体を油布にくるんで海に落とすのですが、油布の先にある長い紐がヨットのスクリューに絡まって、油布とフィリップの死体は、売買のためにヨットを陸に揚げたときに一緒に上がってくるのです。フィリップは死んだ後もずっとヨットと一緒だったというわけです。

さて次回はヌーヴェル・ヴァーグの最高峰『勝手にしやがれ』(1960年ジャン=リュック・ゴダール監督フランス映画)のお話をします。お楽しみに。

著者、吉田泉
NHKテレビ『世界名画劇場』字幕翻訳担当時の著者(左)

記事を書いた人:吉田泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

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