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  • 著者のコラム

映画字幕の舞台裏はこんなに楽しい!

著者 吉田泉(仏文学者)

第1回

映画と私

みなさんは映画が好きですか?好きだと嬉しいです。私は中学のころから大好きでした。外国映画でした。田舎の一少年は映画を通じて外国を夢想し、理想のかなたとして憧れ、田舎を抜け出してそこに行けることを生きがいとしていました。直接には、確か土曜日に放映していたNHKテレビの「劇映画」という番組だったと思います。その当時は「オリバー・ツイスト」や「逢いびき」(中学生には早すぎる?)など主に渋いイギリス映画だったかもしれません。

学校から遠かった自宅まで、放送のある日は帰りやすいようにわざと自転車で通学して、時間に間に合うように汗みずくで自転車を漕いだ記憶が今も鮮やかです。

「世界名画劇場」の字幕翻訳者に抜擢

その少年が後年、NHKの「世界名画劇場」という総合テレビ(同時に教育テレビ放映)の番組で往年の名作映画の字幕翻訳を担当するようになるとは、本当に人生とは味なものですね。

字幕翻訳のお話があった時には、「映画を見てかつお金ももらえるのか」と天にも昇る気持ちでした。私たちの世代は確かにそういう発想をするところがあります。高校生の時からフランス文学に興味を持ち、小林秀雄や大江健三郎に憧れていたので、大学は最初から仏文科と決めていました。字幕のお話の間に立った私の大学の担任からは「ただし、吉田君、文学的な訳に走るなよ」という妙な釘のさされ方をしました。私が当時大学院生のかたわら、小説のごときものを書いていたのを知っていたのかもしれません。

字幕とは「画面の邪魔にならないもの」程度?

NHKに行ってみて、担任が言ったその意味が分かりました。文学的な翻訳などされては困るのです。情報量は、言語が10の量伝えているとしたら、字幕にするのは3、せいぜいで4の量、とまず担当ディレクターに宣言されてしまいました。その条件で伝えることが字幕の使命なのです。字幕はあくまでも画面の邪魔にならないこと、とまでも言われました。

私も若かったこともあり、一瞬ひどい話だな、と感じましたが、そこはとにかく映画字幕翻訳がやれるということだけで本人は舞い上がっていましたから、若さにもかかわらず(?)どんな言葉も素直に耳に入って来ました。

多くの人が集まる広場

映画館字幕とも違うテレビ映画字幕

初めての仕事は『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951年ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)というフランス映画でした。実際に作業が始まってみて、最初から、神経は確かに使うが、こんなに楽しい仕事はないと痛感しました。主題曲のアコーディオンの音色は今もパリの雰囲気を表す定番曲です。

これも一般の方々は誤解されているかもしれませんが、映画館の字幕とNHKテレビの字幕とは、全く翻訳が違ってきます。つまり同じでもセリフの語数が全く違うのです。テレビではセリフの語数は極端に制限されています。理由はごく簡単です。テレビは視聴者がお年寄りから子供まで年齢層が幅広いこと、また画面の大きさが圧倒的に違うこと、映画館と違ってお茶の間は明るい場所であること(やはり画面への集中度が映画館ほどではないという問題)、などです。このためにセリフはまず分かりやすく、短いものであることが第一条件となります。その他はなんであれ二の次、三の次となります。

担当ディレクターに「この番組の平均視聴率はどれくらいですか?」と聞いたら「3から5パーセントだね」という返事です。何だそれっぽっちか、と思っていたらディレクターは私の気持ちをすかさず見越して「だけど吉田君、NHKの1パーセントは百万人だよ」と言われ、とっさに「じゃ頑張ります!」と答えたのがまるで昨日のようです。

(第2回は「字幕の作り方」についてお話しします・全4回)

著者、吉田泉
△ NHKテレビ『世界名画劇場』字幕翻訳担当時の著者(左)

記事を書いた人:吉田泉(よしだ いずみ)
富山県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。
パリ第3大学大学院留学文学修士取得。
東京大学大学院仏文学専門課程博士課程修了。
立教大学、日本女子大学講師を経て高岡法科大学助教授。後に教授。
現在、富山県芸術文化協会名誉会長を務める。
NHKテレビ『世界名画劇場』にてフランス映画の字幕翻訳を長年担当。主なものとして「巴里の空の下セーヌは流れる」「北ホテル」「死刑台のエレベーター」「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「かくも長き不在」など。

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