2025.12.05 NEW 著者のコラム BERETimes 【緊急寄稿】なぜクマは街に出没するのか? “里山の今”から読み解く 寄稿:里山湿地研究所代表 富田啓介 里山のクマのことならおそろしい 里山のクマのことならおそろしい。里山は大きな山だ。けれど、クマは里山から出て来る――。宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』冒頭の名調子を借りて示したのは、昨今のクマによる被害です。人身被害は、今年度(2025年年度)10月末までに全国で177件。発生地は森の中だけではありません。市街地に出没、スーパーや住宅に立てこもるという衝撃的なニュースもありました。 本来クマが非常に稀なはずの私の住む地域(濃尾平野の縁辺)でも、今夏以降「クマらしき動物」の目撃通報が何度もありました。クマを徹底的に駆除せよとの声が挙がる一方、「クマがかわいそう」と補殺を非難する苦情もあるようです。 しかし、そのような状況だからこそ、冷静になって考えてみたいものです。クマはこの日本のどこに、どれほど棲んでいるのでしょう。暮らす場所の環境は今、どうなっていて、なぜクマたちは市街地にまで出没するのでしょう。 くまモンのいる九州にクマはいない 環境省が2019年に公表した報告書によると、驚くことに国土のおよそ55%にクマ(北海道のヒグマと本州以南のツキノワグマ)が生息分布しています。そして、その領域は2003年公表の調査と比較して、およそ39%増加したといいます。 全国一様に増えているのではありません。四国では減少し、絶滅のリスクが増しています。「くまモン」発祥の九州には、たくさん居そうな気もしますが、2012年に環境省が絶滅を宣言しています。 一方、九州・四国に隣接する中国地方では生息分布域が170%増、近畿では69%増と、もともと生息地が限られていた西日本での増加が目立ちます。 ただ、人身被害をみると、東北地方が目立ちます。冒頭に挙げた今年度10月までのクマ被害の約3分の2(119件)が東北6県で起こっています。「クマ出没注意」のステッカーが売られる北海道では5件のみ。むしろ、ステッカーは東北各県に欲しいところです。 では、西日本で目立つ分布拡大や、東北地方に被害が集中する背景は何でしょうか。因果関係を明確にするには詳しい分析が必要ですが、私は里山の環境変化が一因と推測しています。 大雪山で見つけたヒグマのものらしき糞 里山の変容とクマ出没の関係 里山は、伝統的な生活や農業を行う中で維持・管理・利用されてきた人里の自然です。雑木林・採草地・農耕地(田や畑)・灌漑設備(ため池や用水路)・屋敷林などがモザイク状に組み合わさった景観をなし、それは全国のいたるところにありました。 ところが、高度経済成長期以降、雑木林の薪炭利用がなくなり、農業を営む人も少なくなりました。管理された見通しの良い雑木林は、太い木の混じる発達した樹林となり、耕作放棄された農地は、背の高い藪になってゆきました。 クマは本来、どちらかといえば人の出入りの少ない「奥山」を中心に生息していたと考えられます。里山に出ることがあっても、警戒心から、長くとどまることは少なかったと思われます。しかし、人が里山から撤退すると、身を隠せる場所が増え、残された果樹などもあるその一帯は、クマにとって居心地のよい場所となりました。ドングリなど主要な食料が不作となれば、餌を求めて、さらに市街地へも繰り出すようにもなったのでしょう。 東北地方でクマによる人身被害が集中する理由には、もともと個体数が多いことがあると思われます。が、それだけではなく、里山の人口減少が著しいことや、比較的小規模な都市が多く、里山の森林が市街地と隣接して存在していることも、関係がありそうです。 また、分布拡大が著しい中国山地は、なだらかで里山がほぼ全域に広域に広がるエリアです。人の撤退と入れ替わりに、広大なその里山にクマが入った可能性があります。個体数は、まだ東北に匹敵するほど増えておらず、被害も少なく済んでいますが、将来的には西日本でも人身被害への警戒を強めることが必要でしょう。 「おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ」 このようにクマの問題は、里山の抱える課題と大きく関わっています。対症療法のように緊急銃猟を進めれば解決する問題ではありません。私たちは今後、クマだけでなく、里山そのものとどう付き合ってゆくのか、広い視野で考え、対応することが求められます。 たとえば、「獣害」という観点で見たとき、クマによる被害はごく一部に過ぎません。農水省の統計によると、2023年の農業被害額は、シカが70億円、イノシシが36億円であるのに対し、クマは7億円です。クマの問題を矮小化する意図はありませんが、ほかの動物との付き合い方も併せて考える必要があります。また、クマを害獣とみるだけでなく、糞によって植物の種子を散布するといった、生態系の中で果たす役割も考えてみる必要もあります。もっと言えば、地域ごとに異なる自然の成り立ちや、歴史・社会も踏まえる必要があるでしょう。 さて、『なめとこ山の熊』の主人公である、熊撃ち猟師の小十郎は、生活のためにクマと対峙するとき、次のようにクマに呼びかけます。その言葉は、熊撃ち猟師ではない現代の私たちにも、重く響いているように感じられます。 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。(中略)てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ」 <著者プロフィール>富田啓介(とみた けいすけ)1980年愛知県生まれ。2009年、名古屋大学大学院環境学研究科修了。博士(地理学)。法政大学文学部助教、愛知学院大学准教授、愛知教育大学准教授等を経て、2025年からフリーランス研究者(里山湿地研究所代表)。専門は自然地理学、特に地生態学。里地里山における生物生息地の成り立ちや、人と自然の関わりに関する研究を行いつつ、ため池や湿地を中心とした自然環境の保全・活用に関する業務を行う。主な著書に『里山の「人の気配」を追って』(花伝社)、『東海地方の湧水湿地を楽しむ』(風媒社)、『その日常、地理学で説明したら意外と深かった』(ベレ出版)などがある。趣味は、家庭菜園と山歩き。保育園児と小学生の3児の父。里山湿地研究所:https://hoshikusa.jpn.org/ 関連書籍 新刊 一冊でまるごとわかる「里山」入門 基礎知識から保全まで、その全体像が見えてくる「里山」の入門書 富田啓介地理