2026.10.26 NEW 編集部コラム あこがれの山の頂を踏む 「なにしろ弘法大師が草鞋三千足使っても登れなかったという山ですから」 日露戦争直後、軍人と文官の入り混じる陸地測量部の測量官、柴崎芳太郎の立山連峰での仕事の軌跡を描いた新田次郎の作品『劒(つるぎ)岳(だけ)〈点の記〉』に出てくる一節です。これは柴崎の現地案内人である宇治長次郎のセリフですが、同様の表現がこの小説の中に何度も出てきます。当時の剱岳は、立山信仰における立山曼荼羅では地獄を表わす針の山のように描かれており「決して登ってはいけない山」でした。 現在、国内の一般登山道としては最高難度とも言われるコースには、例えば地上2900m付近に聳(そび)える垂直のようなゴツゴツした崖にクサリやハシゴが設置されています。長いコースの要所に点在するこれらのクサリやハシゴがなければ一般登山者は決して登ることはできないでしょう。剱岳は、そんな極めて厳しい山なのです。 いまは動画SNSが発達していますので、初めてこの山に挑戦しようとする人はだいたいこれで予習します。しかし、それなりに山を経験し、機は熟したと感じていた自分は件の『劒岳〈点の記〉』を読み込むことで、ほぼ“気合”だけで挑戦してしまったのでした。昔の人はろくな装備も情報もない状態で途轍もない距離を歩き、クサリもハシゴもない岩崖に張り付いて登ったのです。こんなに恵まれた現代の環境の自分にできないはずがない。 蓋を開けてみたら恐怖と後悔の連続、行くも地獄、戻るも地獄を繰り返しながら這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)での単独山行となったのでした。でもある意味、動画をほとんど見なかったから行けてしまったのかもしれません…。 『ゲーデルの不完全性定理の頂を踏む』という9月の新刊を担当させていただきました。難解な数学の証明にしても、遠くから仰ぐ巨大な山にしても、その頂に立つためには小さな一歩を限りなく積み重ねていかなければなりません。でも逆に言うと、その小さな一歩を(難しくても苦しくてもあきらめずに)確実に積み重ねていけば、いつか必ずたどり着くことができるのです。今回の山行で改めて感じたことでした。 バンドウ