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  • 著者のコラム

格言で学ぶラテン語 #1

われ思うゆえにわれあり。
Cogito ergo sum.
コーギトー・エルゴー・スム

著者 山下太郎

 ラテン語は格言の宝庫です。格言は浜辺で見つける貝殻のようなもので、格言に親しむことは、その貝殻を眺めながら目の前に広がる海に思いをはせるのと似ています。ラテン語の海とは、ウェルギリウスやキケローをはじめとする二千年前のローマの古典作品の数々です。ひとつ一つの格言を丁寧に読み解くことで、背後に横たわるヨーロッパ文学の母胎(マトリックス)に思いをはせていただけたらと願います。

 ラテン語の直訳は「私は考える。ゆえに私は存在する。」となりますが、「我思う、ゆえに我あり」という和訳で人口に膾炙しています。フランスの哲学者デカルトの言葉として知られます。少し調べると、デカルト自身がこのラテン語を残したわけではない、ということがわかりますが、彼の思想の根幹を端的に表す言葉とみなすことはできるでしょう。

 Cōgitō ergō sum.の英訳はI think therefore I am.ですが、ヘレン・ケラーは、この「5つの力強い単語」に初めて接したとき、身体のハンディは自分の本質ではない、本質は自分の心にある、という信念を一生支える言葉に出会ったと述懐しています。この言葉のどこにそれだけの力があるのでしょうか。

 全体を平易な日本語で訳すと、「私は考える(コーギトー)。それゆえ(エルゴー)私はある(スム)」となります。「それゆえ」の前にある言葉(「私は考える」)が、後ろにくる言葉(「私はある」)の理由になっている点に注意します。「私はある」とは「私がこの世に存在する」という意味になります。このとき、「スム」の理由を問うとき、つまり、「なぜ私はあるのか?なぜ私は生きているか?」を問うとき、答えは「コーギトーだから」、つまり「私が考えるから」となります。

 これは私の想像ですが、色も音もない世界に閉ざされたヘレン・ケラーは、「なぜ私は生きているか?」と何度も自問したことでしょう。彼女にとって、デカルトの言葉はその答えを与えるように思われたに違いありません。つまり、生きる理由とは、コーギトー、すなわち、考えること、イコール、物事を自分の頭で考えている限り保証されるというわけです。三重苦の彼女にとって、思考、すなわち言葉を用いる内面の活動を生の本質ととらえる考えは、大きな励ましを与えるものだったに違いありません。

 このようにラテン語のsum(スム)という動詞は、「ある、いる」という意味で使われることが多いです。たとえば、Dum vīta est, spēs est.(命ある限り、希望がある)という表現におけるest(エスト)がこの例です。ついでながら、sumの現在の活用はsum, es, est, sumus, estis, suntとなり、estは3人称単数です。ここで紹介したいのが、EST EST EST(エスト・エスト・エスト)という名のイタリアワインです。今の説明を応用すると、「それはある、それはある、それはある」という訳が可能です。「それ」とは何か、というと、かつてカトリックの司教が使いの者に探させた美味しいワインのことで、美味しいワインが見つかれば、使いの者はそれを提供する宿屋にESTの印をつけ、後から来る司教に美味しいワインの存在を知らせたという逸話にちなみます。ESTが三つあるのは、まさに三ツ星のようなもので、最高のワインがここにあります、というメッセージになります。

【ラテン語解説】

■ Cōgitō:cōgitō,-āre(考える)の直説法・能動態・現在、1人称単数。
■ ergō:それゆえ
■ sum:不規則動詞 sum,esse(ある、いる)の直説法・現在、1人称単数。


記事を書いた人:山下太郎
ラテン語愛好家。1961年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程学修退学。専攻は西洋古典文学。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。問い合わせ先 https://aeneis.jp

山下先生の前回の連載はこちら

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